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市民民主党 (チェコ) : ウィキペディア日本語版 | 市民民主党 (チェコ)[しみんみんしゅとう]
市民民主党(しみんみんしゅとう、)は、チェコ共和国の中道右派政党。経済自由主義、保守主義、欧州懐疑主義を掲げる政党である。 ==歩み== 1991年、市民フォーラムから分離する形で結党。1992年の国民評議会選挙ではキリスト教民主党(KDS)と連合名簿「市民民主党=キリスト教民主党」(Občanská demokratická strana-Křesťansko-demokratická strana:ODS-KDS)を作成して選挙戦を戦い第一党(その後、KDSはODSに吸収)となり、連邦レベルでは民主スロバキア運動と連立政権を発足させ、チェコスロバキア連邦の解体を主導した。チェコ共和国ではキリスト教民主同盟=チェコスロバキア人民党(KDU-ČSL)、市民民主同盟(ODA)と連立政権を作って、当時の党首であるクラウスが首相に就任した。 チェコ独立後の1996年に行われた上下両院選挙でも勝利し、与党として市場経済の導入や民主化を推進した。しかし、1997年の経済危機とODS内部での政治資金スキャンダルがきっかけで政権与党内部での対立が強まり、同年末にクラウス政権は辞職に追い込まれた。その後、党内の主導権争いに敗北した反クラウス派は自由連合(Unie svobody:US)を同年、結成した。翌1998年に任期を2年前倒しして行われた総選挙でチェコ社会民主党に第1党を明け渡し、野党となった。2002年の総選挙でも第2党に留まったが、2006年の選挙で第1党に返り咲き、KDU-ČSLおよび緑の党(SZ)と連立政権を組んだ。2010年の総選挙ではチェコ社会民主党に第1党の座を明け渡したが、緑の党などとの連立で政権を維持した。同年10月に行われた上院選挙では改選された27議席中8議席を得たのに留まり、上院多数派を社民党に譲り渡す結果となった。また2012年10月の上院選挙でも改選27議席中4議席の獲得で選挙前より9議席減となり、第2党に留まった。 側近が職権乱用と収賄疑惑で逮捕されたことをうけ、ペトル・ネチャス首相が2013年6月に辞任。其の後を継いだイジー・ルスノク首相に対する信任案が否決されたことを受けて2013年10月に行われた下院選挙では、現有議席を大幅に下回る16議席を獲得するに留まり、第5党に後退した。
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